ホテルに荷物を置き、シャワーで一日の汗と愛想笑いを洗い流す。19時半。少し涼しくなった夜風に吹かれながら、袋町の路地を歩く。華やかな本通りの喧騒から少し離れたこのエリアは、夜になると独特の静けさを纏う。今夜は、地に足の着いたものを食べたい。そう思いながら歩を進めると、「雑草庵」の控えめな看板が目に入った。
雑然とした街に潜む、木の温もり
引き戸を開けると、外のコンクリートの世界とは切り離されたような、使い込まれた木の空間が出迎えてくれた。奥へと伸びるカウンターの端に腰を下ろす。先客は、文庫本を開きながら杯を傾ける初老の男性が一人。いい店だ。空間の余白が、一人客を静かに許容している。BGMは控えめで、厨房の奥から聞こえる微かな包丁の音が心地よい。まずは瓶ビールを頼み、グラスに注ぐ。冷たい液体が喉の奥の緊張を解きほぐしていく。
小鰯の天ぷらと、瀬戸内の潮騒
品書きには、広島ならではの地魚が並ぶ。まずは「小鰯の天ぷら」と、地酒「宝剣」の純米を注文する。広島に来ると、この小鰯を頼まずにはいられない。運ばれてきた天ぷらは、衣が薄く、小鰯の銀色の輝きが透けて見える。塩を軽く振って口に運ぶと、サクッとした食感の後に、青魚特有の力強い旨味と微かな苦味が広がる。すかさず宝剣で追う。キレのある辛口が、魚の脂を綺麗に洗い流し、口の中を瀬戸内の潮騒で満たしていく。「穴子の白焼き」も追加した。わさびを乗せ、少しの醤油で。皮目はパリッと、身はふっくらと焼き上げられた穴子は、噛むほどに滋味が溢れる。
六千円の領収書と、明日の自分
酒を二合、小鉢と魚をゆっくりと味わい、最後は鯛茶漬けで腹を落ち着かせた。時計を見ると21時半。二時間の滞在が、まるで一瞬のようにも、濃密な数時間のようにも感じられる。
六千円を少し超えた。出張の経費では落ちないが、自分のための夜にはこれくらいの重さがちょうどいい。質の高い魚と酒、そしてこの静寂を買ったと思えば、むしろ安いと感じる。外に出ると、袋町の空気はさらに静まり返っていた。腹の底からじんわりと湧き上がる活力を感じながら、ゆっくりとホテルへの道を戻る。
| アクセス | 広電「袋町駅」から徒歩3分 |
|---|---|
| 営業時間 | 17:30~23:00 |
| 定休日 | 日曜日 |
| 一人予算 | 約6,000円 |