ホテルで荷物を解き、シャワーで新幹線の疲れを洗い流す。時計は19時を回ったところだ。
八丁堀の交差点は、仕事終わりのサラリーマンや若いグループで騒がしさを増している。ネオンが滲む堀川町を歩きながら、今夜は静かに、ただ旨い魚と酒に向き合いたい気分だった。
寿広山崎ビルの2階。階段を上がると、外の喧騒を断ち切るような引き戸が現れる。『いざかや しん』。屋号はひらがなで柔らかいが、中は本格的な割烹の佇まいだ。
一人だと告げると、全30席の店内に4席だけある白木のカウンターへ通された。ここが今夜の指定席だ。
喧騒から隔離された白木の特等席
カウンターに腰を下ろすと、和の落ち着いたしつらえが呼吸を整えてくれる。
全席禁煙の澄んだ空気の中に、出汁の香りが微かに漂っている。BGMは控えめで、板場の静かな活気だけが心地よい。テーブルや個室には客がいるようだが、この4席のカウンターは見事に「一人」の空間として機能している。
とりあえずのビールで喉を潤し、手書きのおすすめメニューに目を落とす。瀬戸内の魚をどう切るか、どう焼くか。文字から温度が伝わってくるようだ。
天然鯛と地穴子、瀬戸内の引力
まずは「地穴子・うす造り」をもらう。
薄く引かれた身は、皿の柄が透けるほどに美しい。ポン酢と紅葉おろしで手繰ると、強い弾力の奥から上品な脂の甘みが滲み出してくる。広島の夜、これがないと始まらない。
酒は地酒に切り替える。冷やのキレが、穴子の余韻を綺麗に洗い流していく。
続いて「鱧・焼き霜」。表面を炙られた香ばしさと、ふっくらとした身のコントラスト。噛むほどに旨味が膨らむ。
もう一品、「天然鯛・造り」を追加した。
角がピンと立った切り身は、養殖とは違う引き締まった食感。醤油を弾くほどの鮮度だ。魚自慢の割烹という看板に、一切の誇張はない。瀬戸内の海の恵みを、こうして静かなカウンターで独り占めする贅沢。これこそが出張の醍醐味だ。
出張経費では落ちない、自分への投資
酒を数杯重ねて、心地よい酔いが回ってきた。
会計は六千円を少し超えた。出張の経費では落ちないが、自分のための夜にはこれくらいの重さがちょうどいい。
ビルの階段を下りて堀川町の雑踏に戻ると、入る前より少しだけ背筋が伸びている気がした。
明日もまた、仕事がある。その事実を、すんなりと受け入れられる夜だった。
| アクセス | 広電 八丁堀駅から徒歩約1分 |
|---|---|
| 営業時間 | 17:00 – 22:00(L.O. 料理21:00) |
| 定休日 | 日曜日、祝日 |
| 一人予算 | 6,000円〜7,999円 |