第2話:的場町の夜、踵(かかと)の磨り減ったリーガル。

的場町の路地裏。
暖簾をくぐり、座敷に上がる際、自分の靴の踵が異様に磨り減っていることに気づいた。
リーガルの黒い革はまだ光沢を保っているが、土台は確実に削れている。

この15年、俺はこの靴でどれだけの地面を叩いてきたか。
駅のホーム、会議室のタイル、そして部下のミスを謝罪しに行った取引先の硬い床。
歩んだ距離の分だけ、俺という個体もまた、どこかが削り取られているような気がした。

カウンターの端に置いたスマホが、また短く震える。
Teamsの通知だ。明日一番で、俺の「部長への根回し」の結果を部下が待っている。
有能だと思われている。頼られている。
だが、その実態は、ただ組織の歯車として、最も摩耗しやすい場所に置かれているだけではないか。

この靴を脱いで、この看板を外した時、俺の足元には何が残る。
深夜、ホテルのエレベーター。
誰もいない密室の鏡に映る自分は、どこかの誰かのためにすり減った、ただの中年男だ。
この会社の外に、俺が座れる椅子はまだあるんだろうか。

転職をする勇気なんて、とうに枯渇している。
ただ、自分がまだ「餓死せずに済む」という証拠が欲しかった。
酒を待つ数分、外側の世界に自分の現在地を記してみる。
誰に相談するでもない。ただ、冷徹な市場に、自分の名を置いてみた。

あとは、放っておけばいい。
どこかの誰かが、俺という摩耗した部品を、まだ使えると判断してくれるのを待つ。
数日後、スマホに届く見知らぬ場所からの通信。
それを見るだけで、すり減った踵の痛みが、ほんの少しだけ和らぐ気がした。

名前を置いておくだけ。あとは、外の世界から届くオファーを待てばいい。